8月9日(金) 曇り時々雨 パタヤ

BEFORE RACE

大会公式スケジュールの開始を翌日に控え
いくつかの準公式イベントが行われた

1996年の初開催から約四半世紀、今年で24回目となるアジアクロスカントリーラリーはタイのビーチリゾート パタヤ からのスタートとなる。

大会の公式スケジュールは「車検」の行われる8月10日より始まるのだが、これに先立ち GRAND PALAZZO HOTEL PATTAYA にはラリーを率いるヘッドクォーターが設置され、関係者の受付が開始された。

GRAND PALAZZO HOTEL PATTAYA は近年、パタヤスタートの際にオフィシャルホテルとして利用されている馴染み深い場所だ。その駐車場に色とりどりの参戦マシンが集まりだし、ピット用のテントが設置されると、このラリーに「帰ってきた」ような気持ちになるのは不思議だ。

そこかしこで「ハイ!」「How Are you!」と再会を祝す挨拶の声が聞こえ、皆、この1年の四方山話に花を咲かせている。"Rally " の語源の通り「再び集う」楽しさを誰もが満喫している様子がありありと伝わって来るのだ。

日本人向けの事前ブリーフィング

そんな中、いくつかのイベントが行われた。まずは近年恒例となった日本語による事前ブリーフィングだ。これは近年増加傾向にある日本人関係者に向け、主催者の笹忠之が非公式に開催している説明会だ。参加は任意だが、全ての説明が大会公式言語の英語ではなく日本語にて行われる唯一の会となるため、ほとんどの日本人エントラントが参加していた。

今年は2000年の大会以来、19年ぶりにミャンマーを越境することになる。が、さすがにその時代の経験を持つ参加者は少なく、多くの人の興味も情報の少ないミャンマールート部分に集中していた模様だ。

ブリーフィングの席上、笹より「ミャンマー国内のルートは最終レッキの結果を受けてやや短くなり、一部は今後の様子を見て更なる短縮化も想定しています」と報告があった。

しかし「降り続く雨で渡河ポイントが人の背も超えるような水深になってしまったから」あるいは「雨が降ると一部極悪路専用の走破スキルを持った選手しか走破できず、それ以外の方は帰ってこれない可能生が出てきたから」という説明に、参加者達も納得の表情を見せていた。

いずれにせよ「今回は前半3日間にタイエリアで設定されている長く厳しいSSで前に出られたチームが優位になり、後半の戦いはミャンマーの天候次第になるだろう」という主催者の説明については多くのエントラントも予想していたことらしく、皆一様にうなずきつつ、真剣な表情で各LEGの説明に耳を傾けていた。

また、「このラリーはWRCなどと違ってコース内が100%クローズドにはなっていません。ですから、一部のルートや通過する村々で、オートバイなどが間違って走ってくることもあります。警察や、一部軍隊と連携しながら運営はしていますが、充分に気を付けてください」との注意喚起も行われていた。

なお、今年も村を通過する際などにスピードリミットを設ける区間があり、そこでの速度順守や追い越し禁止のルール、違反者にはペナルティ及び最悪の場合失格処分となることも伝えられ、「通過する村々とそこで生活されている皆さんにはリスペクトを持って走ってください」という話も伝えられた。

メジャースポンサー主催のパーティ

株式会社サン・クロレラ 代表取締役社長 中山 太 氏によるご挨拶と乾杯の発声

そして18時半からはオフィシャルホテル近くの Sabai Resort Pataya Hotel のプールサイドにて大会メジャースポンサーである「サン・クロレラ」によるウェルカムパーティーが行われた。

この前夜祭も近年恒例の行事となりつつあり、エントラントの間でも互いの親睦を図る場としてとても人気の高いイベントに育ってきている。
参加するにも国籍や役割などの違いは一切関係なし。このラリーに関係する全ての人々が分け隔てなく会食し、楽しめる場としてオープンに設定されているのだ。

会の冒頭には株式会社サン・クロレラの代表取締役社長 中山 太 氏によるご挨拶と乾杯の発声が行われ、参加者からは大きな拍手が惜しみなく贈られた。誰もが皆、このイベントが今年もつつがなく行われること、そして自らが参加できたことを感謝して、心からの声援を送っていたのだろう。

会の進行はサンクロレラのユニフォームをまとった美しいレースクイーン達によって行われ、スター選手やスターチームのみならず、ほとんどのチームの紹介と自己紹介が行われた。

皆、感謝の言葉を伝えつつ、今回参戦の目的や目標をしっかり語っていたので、その内容や表情を見ているだけも面白かった。そして改めて、このラリーの参加者達の仲の良さがよく分かり、ある意味「アジアクロスカントリーらしさ」の凝縮された象徴的なイベントとなっていた。

 
Furukawa Batteryチーム
インドネシアチーム
DIRTSPORTS RT with Team JAPAN
Garage MONCHI JAPINDチーム
JAOSチーム
Roslyn Rally Sportsチーム
Mediaチーム

さあ、明日からはいよいよ公式スケジュールがスタートする。「車検」と「セレモニアルスタート」だ。一度は皆、同じ場所に集ったが、また競技という場に走り出し、ゴールまで戦いを繰り広げていくのだ。そう。「アジア圏伝統のラリー」が今年もまた、スタートの時を迎えようとしている(河村 大)。

【アドベンチャー・チャレンジクラスを実験的に創設】

♯65:横田正弘 / 大木悦子
チーム:IKAHO Toy Doll Car Museum
車 名:Hindustan AMBASSADOR

今年、参戦車両の中にひときわ目立つ1台のクラシックカーが登録されていた。実はこのクルマ、オフロードを走らずオンロードだけでアジアクロスカントリーラリーを楽しむ方法として試験的に導入された「アドベンチャー・チャレンジクラス」への参加マシンなのだ。

ドライバーは私設ミュージアムとして日本一の集客力を誇る「伊香保 おもちゃと人形 自動車博物館(群馬県)」の館長 横田正弘さん。

どうやってこのラリーを知ったのか? そしてなぜこのようなクラシックカーを選んだのか? そしてアドベンチャー・チャレンジクラスとは何なのか? ウエルカムパーティで主催者と同席していた横田さんに詳しく伺うことができたので、ご紹介させていただこう。


こんにちは。今回の参加に至る経緯をお教えください。

横田正弘さん(ドライバー。以下、横田さん) たまたま、2017年にサイドカーでAXCRに出場されていた岩本さんという方のフェイスブックを拝見した時に「今年はプノンペンにゴールしました!」と書いてあったんです。それを見て「 私も死ぬまでに一度プノンペンにクルマで行ってみたい!」と思って岩本さん経由で主催の笹さんをご紹介いただいたんです。

どうしてプノンペンに行かれたいのですか?

横田さん 実はもう10年以上も前にプノンペンに交番を寄贈したことがあるんです。そこにクルマを運転しながら行けるならこんなに嬉しいことはないなあ、と。
当時、交番というものがカンボジアにはなかったんですよ。そして群馬県警の職員さんがカンボジアの警察を指導するために派遣されていたんですね。私はひょんなことからその担当の方とお知り合いになってしまったんです。
たまたま私がカンボジアの大使館に行った時に、たまたまその人がいて、たまたまお話しを聞いているうちに、「私が帰るまでにどうしてもカンボジアに交番を建てるのが夢だ」なんてことをおっしゃって。
それで中途半端に男気なんか出しちゃって、「じゃあ私が建てますよ」なんて言ったら、思ったより大変なことになってしまって(笑)。普通、街中の交番なんかそんなに大枚をはたかなくても作れると思うじゃないすか。見積もりきたらどんどん高くなってしまって。引くに引けなくなって何千万も個人で寄付することになったんです(笑)。
でも、結構大きな交番ができたんですよ。留置場もついているような。その完成のセレモニーはものすごくって、地元の高校生とか全部来てくださって、プノンペン大学の近くにあるんですけど、6車線の道路は全部閉鎖してしまって、2kmくらいご来賓とかの方が延々続きましてね。ああ、この国にとっては大変なことだったんだなあ、って思いました。その交番に、今度は自分のクルマで行きたいんです。
ただ残念なことにちょっと重傷の肺炎になってしまって、レントゲン撮ったら肺の中がズタズタになってしまっていたんですね。そして泥んこ道はダメだってドクターストップがかかってしまって、去年はカンボジアに行けなかったんですよ。

大木悦子さん(ナビゲーター。以下、大木さん) 泥んこの中って細菌がいっぱいいるでしょう? この人の病気は悪い細菌が体内にはいっちゃったりしたら大変なことになるそうなんですよ。下手をすると死んじゃうって。だから湿気の多いところとか泥んこに入るような道は行けないって話になっているんです。

横田さん でもやっぱり一度出てみたいな、と思っていたので、笹さんに直接相談したら「SSを走らなくても参加していいですよ」って言ってくれたんで、出られることになったんです。本当にありがたくて、楽しみにしているんですよ。

笹 忠之(大会主催者) 実は今回館長が参加された「アドベンチャー・チャレンジクラス」は来年からやろうかな、と思っていたところだったんですよ。競技はちょっと無理だけど、同じようなルートを走りながら国境を越え、旅をしたいという希望をお持ちの方は結構いらっしゃるんです。問い合わせも多くて、クルマはもちろん、バイクもハーレーとかBMWのオーナーの方からも連絡をいただいていました。ですので、館長からのお問い合わせはある意味、ちょうどよかったんですよ。
いろんな考えの方がいらっしゃって、中には「クルマを借りたい」という方もいるのですけど、そこは、僕はちょっと違う考えを持っているんです。自分のクルマを外国に持っていって走るワクワク感とか、自分のクルマで国境を越えるドキドキ感とか、そういったことって日常生活の中ではそうそう無いわけですよ。特に島国の日本ではね。あの感覚をやっぱり味わって欲しいと思っているんですよ。人に用意されたクルマではなくてね。
もちろん、船賃は余分にかかってしまいますが、でも例えば1台のクルマに4人乗って、みんなで船賃割って自分の参加料を払ったって、20万円弱くらいで来られるわけですよ。ま、飛行機代は別ですけども。そういう夏休みの過ごし方って素敵だな、って思うんですよね。それを、クラシックカーだったらクラシックカーのグループ、ハーレーならハーレーのグループ、という風にグループごとに移動してもらうのもいいのかな、と思っているんです。横田館長には、その先駆けとして実験的に参加していただいたんです。こちらこそありがとうございます。

ちょっとクルマのことをお教えください。
博物館として所蔵されていたクルマですか?

横田さん いいえ、この大会に出るために新たに用意したクルマです。ちょっと変わったクルマが面白いかなあと(笑)。あのクルマ、インドのクルマなんです。そしてインドのクルマは世界水準の大会に出たことがないと思うんですよ。その辺もちょっと面白いかなあ、と。車名はHindustan AMBASSADOR、年式は1965年、エンジンは1,800ccの4気筒です。

なぜ、そんなに古いクルマで出られるのでしょう?

横田さん まあ、オフロードに行かない僕が現代の四駆で参加してもちょっとつまらないし、私のとこはクルマの博物館ですからね。まあ、古いクルマは暑いし危険ですけど、自分の好きなクルマで参加したほうが「伊香保〜博物館」とリンクしますし。自分にとってもこの旅は「アドベンチャー」なんですよね。あのクルマでゴールするというのはそこそこ難しいかもしれないんだけど、でもだからこそ面白いなあと思っています(笑)

博物館の活動とリンクされるんですか?

横田さん リンクする、というより、やはり私は趣味が古いクルマなんで、古いクルマで遊んでいたほうが楽しいから。これも遊びだし、楽しいほうがいいな、と。そんな気持ちです。

大木さん この人はイタリアのミッレミリアとか、クラッシックカーでずっとラリーに出場していて。でもクロスカントリーラリーは初めてのことで、全く畑違いなんですけど、でもやっぱり古いクルマで走るほうが楽しいかなーって。すごく楽しみにしていました。

赤星 大二郎さん(TEAM JAOS 監督、飛び入り出演。以下、赤星さん) 横田館長は、私の地元の大先輩なんですよ。館長のところはウチから15分くらいのところなんで。不思議な繋がりでフラッと春に弊社にいらっしゃって、いろんなご縁でまたここでお会いできているんです。なんだか、とてもうれしいです。

横田さん あのとき、JAOSさんのクルマを拝見させていただいて、あ、こんなにしっかりクルマ造りをされているんだ、こんなクルマじゃないとオフロードを走れないんだ、ということがよ〜く分かりましてね。あ、これは私のクルマでは無理だと(笑)。とても貴重な体験になりました。ありがとうございました。

赤星さん いいえ。こちらこそ。今後とも末永くよろしくお願いいたします。

横田館長のクルマ、タイヤ径は結構大きそうですね?
ちょっとした凸凹道も走れてしまえそうです。
駆動方式は2WDですか?

横田さん 2WDです。あれはジムニーのタイヤを履かせているんですよ。まあ、ジムニーのタイヤだったらパンクしないかな、と思って履かせたんですよ(笑)。

なるほど。ありがとうございました。
ミャンマーの首都ネピドーのセレモニアルゴールで無事お会いできることを心よりお祈りいたします。

株式会社サン・クロレラ 中央自動車大学校