8月14日(水) 曇りのち雨 メーソット→パアン

LEG4

184.36km リエゾン:75.11km SS:109.25km

さあ、魅惑の国ミャンマーへ!!

競技4日目、いよいよタイとミャンマーの国境を越える時が来た。国境の町の名はタイ側がMAE SOT(メーソート)、ミャンマー側が MYAWADY(ミャワディ)という。実はミャンマーが陸路での出入国を認め、タイとの国境を開いたのは2013年の夏のこと。この地が未来にわたってミャンマー-タイ間の物流の大動脈へと育つ可能生がグッと増し、こういったミャンマーの民主化の進展を誰もが歓迎した。その記念すべき越境ルートを180台からなるラリーの一団がトレースして行くのだ。これは参加者達の長年の願いであり、主催者の悲願でもあった。

思い起こせば2002年にカンボジア国境を越えた時もエキゾチックな雰囲気に溢れていた。国境をまたいだ瞬間に空気が変わり、匂いが変わり、そして人も道も、なにもかもが変わってしまったのだ。特に四方を海に囲まれた日本人にとって、陸路での越境は普段の生活ではおよそ経験できない、特別な行事になり得る。文字通り「クロス・カントリー」する楽しさを五感で感じる楽しさは、病みつきになるほどの魅力なのだ。

とはいえ、今回の国境越えではひとつ大きな問題を抱えていた。数日前からニュースで話題になっている通りミャンマー国内の大規模な洪水により、予定されていた競技地域はおろか移動区間の道路も冠水し、周辺地域に水害が発生して、そこを通過すること自体が難しくなってしまっていた。

ところがゼロカーによる直前の試走により、冠水していた地域の水位が下がっていることが確認され、主催者は競技の続行を決定した。とはいえ大径タイヤを履いた競技車両ならいざ知らず、二輪やサポートのミニバンではまだハードルが高く、ギリギリの判断だったことが予想される。

いずれにせよミャンマー入国直後に予定されていた競技区間はまだ走行が不可能なほどの水位にあることから、また、この地域周辺にて大きな災害が発生していたことも鑑みて「キャンセル」となることが前日の晩に選手達に通達されていた。

タイのメーソートのホテル出発は早朝6時。オフィシャルカーとメディアカーが先頭になり、これに選手達のマシンやサポートのクルマが続き、180台/500人からなるラリーの一団が一路国境へと向かった。その台数の多さから出国及び入国の手続きに相当な時間を要することが予想されていたが、主催者が実施した事前の一括手続きなどにより、比較的スムーズにミャンマーへ入国することができた。

いざ越境してみると国境線はモエイ川というやや小さめの川で、それを渡るコンクリート橋のふもとにそれぞれに国の出入国管理施設が配置されていた。面白かったのはクルマの走行車線の変更だ。左側通行のタイと右側通行のミャンマーを行き来するにはどこかでクルマの走行車線を変えねばならず、それを示す標識が例の橋の中央に設置され、通行ラインの変更を促す路面ペイントが描かれていた。

そしてミャンマー入国後、参加者達のクルマがメインロードを少し走ると、道路脇の学校の前で生徒達によるブラスバンドの演奏で歓迎され、1台ずつ止められたかと思うとクルマの車窓からミャンマーの国旗の入ったポロシャツや花、飲み物などが手渡された。ありがとう、ミャンマーの皆さん!!

その後、ラリーの一向はコンボイを組み、アジアンハイウェイ1号線(AH1)をひたすら西進してパアン(HPA-AN)の町へと向かった。ここで我々が経験したのが例の洪水の後遺症だ。

道中、AH1の両脇に見渡す限りの水面が広がっている所がいくつもあり、溢れた水によって道路が所々寸断され、十数メートルから100メートルほどの距離を渡河走行のように水しぶきをあげながら走らねばならないところが幾つもあった。また、低地にある家屋の中にはいまだに冠水しているところがあり、水がだいぶ引いたとはいえ、その水害のすさまじさをまざまざと見せつけられることとなった。

我々メディアが使用しているクルマはそのほとんどが重量級のクロスカントリー4×4であるため、冠水した道路も大きな問題はなかったが、小柄なジムニーやサイドカー、あるいはサポートのハイエースやアドベンチャークラスの乗用車にとってはなかなかチャレンジングな水深だった模様だ。

ハイエースやジムニーなどでは、車内に水が浸入し「SSの渡河でも水が入ってきたことはなかったのに、今回は車内に水が溢れてきた!」という声も幾つか。サイドカーの♯67 岩本徹男 / 冨本至高 組(Japan Racing Sidecar Association)のウラルでも冨本選手が乗る船に水が浸入してきた上、路面が悪く、ふたりとも腰が砕け気味になってしまったという。

また、アドベンチャー・チャレンジクラスの♯65 横田正弘 / 大木悦子 組(IKAHO Toy Doll Car Museum)の Hindustan AMBASSADOR では、水深が深すぎて一時は引き返すことも考えたものの、近くにいた地元の人達が「エンジンを停めて! あとは私たちで押してあげるから!」と声がけしてくれて、彼らの協力によって無事通過できたというエピソードもあった。

さらに、パアンの町まで利用したAH1の路面は舗装路とはいえ、アスファルトがそこかしこで剥げ上がり、深い穴がボコボコと連続するような状態で、乗員は常に上下左右にシャッフルされてしまう。道路脇には国境に向かう超大型トラックが足止めを食らって数珠つなぎに停車したまま動かず、果てしなく続くトラックの車列が15kmや20km延々続くような、そんな中を参加者達は黙々と走っていった。

そんな具合だったから、国境からパアンの町までのアベレージスピードは20km/h以下。夕方からは視界がなくなるほどのスコールにも見舞われ、競技区間などなくても移動だけで十二分に「エクスペディション」な一日となった。

最後に、この日のSSのキャンセルと水害について日本から参戦しているクルマ椅子のドライバー 青木拓磨 選手 にコメントをいただいたのでご紹介しておこう。

「キャンセルは仕方ないですよね。むしろ土砂崩れで亡くなってしまった人々に、心よりお悔やみを申し上げたいです。洪水で生活に支障がでてしまった多くの人にも早く元の生活に戻れるよう、声援をお送りしたいですね。我々はこういった、時に厳しい顔を見せる大自然の中に造られたステージで戦っているわけで、そして彼らの生活道路を使わせていただいている立場じゃないですか。だから洪水やキャンセルはすごく残念だけれども、我々も受け入れて我慢するところは我慢して、先へ進むしかないかな、と思います。もちろん、この後競技区間があるのでしたら、全力で挑みます」

Provisional Result Overall

Moto

Auto
株式会社サン・クロレラ 中央自動車大学校